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昆虫食と陰謀論
最近「昆虫食の普及」について陰謀論的なものが世の中に出回っています。
昔から声としてあったはあったのですが、最近加速的に増えていて正直驚いています。
個人的にはおもしろいなーと思う反面、放置するわけにもいかず。
でも、危険だと触れ回るならそれ相応のエビデンス持ってきてください。
菌数が多いだの、重金属の危険だのなんてのはエビデンスに乏しすぎますし、他の食品にも同じことが当てはまります。第一、そのあたりは全部我々は検査に出しています・・・
つまり、事業者の当事者からすると、ぶっちゃけ「DHMOの危険性」となんら変わらないものなのです・・・
DHMOの危険性についてはこちら
この件に関して、「陰謀論のここが間違っている」とか「ここがおかしい」、ということは別途整理して会社のホームページにでも投稿するとします。
今回は、最近の論調において個人が思っていることを整理しておきたいと思っています。
昆虫食のターゲットは昆虫を食べたくない人ではない
そもそも、我々(少なくとも会社のメンバーは)昆虫食を 強制しようとは思っておらず、食べたい人が食べればいいと思っています。食べるきっかけがなくて昆虫を食べてこなかった人が、少し背中を押されることで「食べてみよう」と思ってくれるような 、そんな思いで事業に取り組んでいます。
加えて、少なくともうちは、国から多額の補助金、助成金、研究費が入ってるわけではありません。(昆虫食の会社に限らず申請ができるような持続化補助金や、そういったものは利用はしていますが、それは昆虫食だからもらえる補助金ではありません。)
そんな中で、個人の意見で「今までは自分が食べたくない。」ということは理解できます。
しかし、最近「社会で昆虫食が存在するのがおかしい」というような発言が多くなっているように思えます。(少なくとも僕の目にはそう見えています)
これはかなり危険な状態です。
これが昆虫食ではないものに置き換えて、考えてみるとわかりやすいのかなと思って、ふと例を挙げます。
「昆虫を食べる」と「脱毛をする」こと
昆虫を食べたくない人にとって、昆虫を食べるという行為は、私にとってなにか。
そう考えたときに少ししっくりきたのが、「脱毛」でした。
これは私にとって、「脱毛」が抵抗感・忌避感があるということではありません。
ただただ、私自身が、脱毛というビジネスのターゲットの外にいるという点です。
昆虫食を食べたくない人というのは、我々昆虫食事業者が設定しているターゲットの外にいるという点で似ています。
我々のターゲットは当然、昆虫を食べてみたいという人が中心です。
冒頭にも書いた通り、食べたくない人に無理やり食べさせることはするつもりはありません。
ただ、私自身が、「脱毛に興味がない」というだけで、別に脱毛をしたい人を攻撃するつもりはありません。
遺伝的なのか、体毛がうすい私は(なんのカミングアウトなのだ・・・)そのサービスにお金を払ってまで脱毛をしたいということは思いません。
ただそれがコンプレックスの人がいるのもわかっているので、お金を払ってそのサービスをうけることも当然いるでしょうしなんとも思いません。
脱毛というビジネスを世の中から消し去ることを望んでもいません。
だって、そこにはビジネスのニーズがあるというだけので。
昆虫食のニーズと広告やメディアが与える不快感
つまりこれを置き換えると、「脱毛をしたい人のニーズに応える」ことと「昆虫を食べたいと思う人のニーズに応える」ことは社会のニーズをビジネスで埋めているにすぎません。
ただ、ビジネスの持続可能性という点で、投資家や事業提携を進める中では環境問題や社会課題を絡めることが必要で、そういう部分が過剰にメディアで評価されているので、怪しく見える節があるのかも、と今回気づきました。
「広告で不快感を感じることがある」ということは私も実際あって、それがYouTubeの広告で出てくる、「脱毛しなかったから彼女(彼氏)にフラれた!」的なやつです。
全ての広告がそうではないのですが、過剰に不安感を煽ったり、それをしていないことが悪いことだというような構成になっていることには私は不快に思うことがあります。
もしかすると昆虫食も、「強制されている感」。「それを食べないといけない感」が出てそれが拒否反応につながっているのかなと。
とはいえ、それで「脱毛は悪だ」というのは主語が大きすぎて、「その広告がダメ」というだけなのです。
昆虫食も同じで、そういういわゆる「SDGs的な面ばかり」が大きく取り上げられることが、陰謀論につながったのかもしれません。
言いたいことを最後に少し整理してみます。
陰謀論が僕の毛を抜く
昆虫食は強制しているものでもないので、「食べたくない人は食べなくて良いけど、だからといって昆虫食そのものを社会から消し去ることはおかしい」という話です。
「自分が不快だから世の中にあってはいけない」というのはおかしくて、「自分が不快だと思っても、それは誰かが求めているものなのかもしれない」ということは心の片隅に留めておいてほしいです。
個人がそれを否定するのは自由です。当然それを社会から消し去りたいと思う人がいるのも自由です。
でもそんな投稿をみている人の中には、当事者もいれば、その商品やサービスが本当にほしいお客さんもいるのです。
残念なことに、そういった投稿をする心無い人たちにはこの文章すら読まれることはないのでしょうが。
このままだとストレスで、脱毛しなくても脱毛してしまうかも・・・
1 コメント
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昆虫食の記事とそれへの批判であふれるネットニュースにもやもやして、ネットをさまよっているうちにこの記事にたどり着きました。脱毛の説明は、自分の感じているもやもやをうまく言葉にしてくれている気がして、思わずコメント差し上げます。
まさに書かれている通りで、「昆虫食」が人によっては見聞きするだけで嫌悪感を覚えうる内容であることが、広告や記事として人々の目に触れた際に一定の反感を自然と生んでしまう下地になっていると感じます。加えて、昆虫食が美味しさや調理法といった食べ物自体の売りではなく、SDGsや食糧問題の文脈で売り込まれているのが非常に多いのも、一因であるように感じます。そうした社会的重要課題に関連した強い売り文句は、反論どころか嫌悪感を覚えることすら許されないような印象をうけやすく、結果としてより強い反発を生んでいるのではないでしょうか。もちろん、昆虫食事業者の方々も「食べたい人が食べればいい」とお考えなのはよくわかるのですが、SDGsのような言葉と共に語られることで、「昆虫食のような見聞きするだけで不快な内容を聞かされること自体が正当化されてしまう」ような、もやっとした気持ちになる人が多いのでは、と思います。
この「見聞きするだけで嫌悪感を覚えうる」というのは、昆虫食関連の事業者にとっては今後も非常に難しい点となってくるのではないかと感じます。事業として、業界としての成長のためには、新たな消費者・市場の開拓は必須化と思いますが、その過程で必ずと言ってよいほど「見聞きしたくない人に不快な思いをさせる」ことにつながるからです。
いずれにせよ、コオロギベンチャーの代表の方がこうした認識をお持ちの上で事業を進めておられることに、素直に(いい意味で)驚くとともに、もっとこうした声が事業者側から出る必要があるのでは、と感じました。書いておられるように、現状でのネット上での反発はデマに基づく非常に不健全なものであり、展開によっては日本における昆虫食の普及の芽自体を失いかねないものだと思います。私自身は積極的に昆虫食に手を出したいと思う立場でもない(経験はあります)のですが、嗜好品・環境への低負荷な食料品として、選択肢の一つに昆虫が含まれるようになること自体は価値があることだと考えています。今後、反発を生まない形でうまく事業の発展につながりますよう、お祈りしております。とりとめのないコメント、失礼いたします。陰ながら応援しております。